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      <title>憧れは憧れのまま</title>
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      <description>男も読みたい少女マンガや名所、歴史</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>偉大な科学者</title>
         <description>科学の巨人に、クロアチア生まれのアメリカ人で、霊感の発明家といわれたニコラ・テスラがいます。


テスラの名前はあまり知られていませんが、彼の発見がなければ現代の便利な生活はなかったはずです。


彼の発明による交流発電機やトランスミッション・システムのおかげで電気の時代が可能になったのです。


テスラは子どものころから、脳裏でくりひろげられる鮮明なイメージに悩まされていました。


記憶や想像があまりにリアルに脳裏に浮かび、目の前の世界と記憶や想像の世界がふたつのリアリティとして同時に見えてしまうような状態に苦しめられたのです。


やがてテスラは、現像から逃れるのではなく、その現像を具体化して新しいものを発明するという解決策を見出しました。


彼の発明にはスケッチもモデルの製作も、設計図も実験も要りませんでした。


必要なのは、こころの目をはたらかせることだけでした。

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         <pubDate>Mon, 09 Jan 2012 17:45:46 +0900</pubDate>
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         <title>社運を賭けた決断　4</title>
         <description>IBMは360の大成功によって、追い迫ろうとしていたスペリー・ランドなどのライバルを、完全に振り切ってしまいました。


このころの業界は、「7人の小人」といわれるように、IBMを完全に独走態勢に入らせてしまいました。


この間に同社の企業規模も、著しく巨大化していきました。


従業員数は、1968年には内外合わせて22万2000人(うち8万7000人が海外)に達しました。


アメリカ以外の13カ国に研究所8カ所、製造工場17カ所、106力国に営業拠点を持っていました。


1970年におけるフォーチュン誌会社番付でも、5位に躍進しています。


同時に、コンピューター産業そのものも、人間が青年期を過ぎて壮年期を迎えるように、成熟段階に入ることを免れることができませんでした。

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         <pubDate>Wed, 14 Dec 2011 12:39:14 +0900</pubDate>
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         <title>社運を賭けた決断　3</title>
         <description>ジーン・アダムールは、のちにIBMを飛び出して独立しましたが、周知のようになかなかの風雲児です。


またアルバート・ウィリアムズは会計士出身で、ワトソン親子2代にわたって財務を担当して仕えました。


とくに360では、研究開発費だけで50億ドルという、民間企業として最大の支出を、裏方としてまかないました。


こうしてIBMは、海外工場も含めて、360シリーズの製作に全力を結集したのです。


1964年4月に、互換性を持つ6つのモデルから構成されるシステム360が、アメリカの62都市と海外の14の都市で同時に発表されました。


続いて翌年5月から、つぎつぎと各モデルが出荷を開始しました。


その人気は爆発的で、受注残が大量にのぼり、生産が追いつかないありさまでした。


この第三世代のトップを切った360シリーズは、次の機種370が発表された1970年まで、世界市場で支配的地位を維持したのです。

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         <pubDate>Fri, 11 Nov 2011 12:37:46 +0900</pubDate>
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         <title>社運を賭けた決断　2</title>
         <description>ジーン・アムダールは360設計の中心人物でした。


この開発に走ろうとしたWTCの逸脱をぴしゃりと抑え、それを機会にかえって本社の統括にこれを組みこんだ手腕もあざやかでした。


加えて、社長の座をめぐる弟ディックと腹心のT・V・リアソンとのどろどろした争いに、肉親の感情を断ち切った、兄としての冷静な裁断も、社内の士気を引き立てる上で、見逃されるべきではありません。


もちろん、360シリーズの疾風のような大当たりから、結果よければすべてよしとする向きもないではありません。


事実この画期的新製品を市場に出すまでにはいろいろと内部対立や試行錯誤があり、判断のミスも統率の乱れもありました。


これらについてのフォーチュン誌の記事に対し、企業史家のロバート・ソーベルは次のように述べています。


「・・・あとからふりかえってみれば、360シリーズの開発に踏み切るという決定は、1966年当時考えられていたよりは理にかなった、熟慮されたものだと思われます。


これは避けて通れない、必然的なステップでした。」

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         <pubDate>Thu, 13 Oct 2011 12:37:07 +0900</pubDate>
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         <title>社運を賭けた決断</title>
         <description>ワトソンもまた、実弟ディック・ワトソンのもとで独自の機種しろ強化されました。


この機種は、1400シリーズよりもずっと莫大な利益をあげました。


事実この機種は業界を再生させたともいえます。


それだけでなく、360シリーズによって、IBMは技術の面においても、かつてその営業陣が得たと同じ、高い評価を得ました。


この一事はまた、ワトソンニ世がすべての点で父親に負けず大胆で、才覚に富んでいたことをよく物語っていました。


360の成功はもちろんワトソンニ世一人の力によるものではありません。


彼はソーベルがいうように、「リアソンの指導力、アムダールの技術、ウィリアムズの財務手腕」に支えられていました。


リアソンはもともとタフで精力的な営業マンでしたが、1400シリーズを担当した「ゼネラル・プロダクツ」と7000シリーズの「データ・システムズ」の相拮抗する事業部を統括して、これを360の製作に集中させるという難事業をやってのけたのです。

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         <pubDate>Wed, 21 Sep 2011 12:35:16 +0900</pubDate>
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         <title>自発性の原則とは</title>
         <description>ボランティア活動をどのように定義するかは、それ自体、議論の余地がありますが・・・


ここではひとまず、ボランティア活動とは「動機においては自発性を、活動資源(リソース)においては自前主義を、代価においては無償主義を、相手(二ーズ)との関係においては了解を原則とする遂志の活動であるLと定義しておきましょう。


この定義は一面では事実を、一面では理念を表しています。


遂志とは志を遂げることであり、この意味でボランティアとは志願者あるいは「有志」の人であるということができます。


この場合の志は、なんらかの重荷を背負っている他人に対して理解と支援の手をさしのべることによって、その重荷を共に担い合おうとすることである、といえます。


ボランティア活動の本質は、なにより活動の担い手のあり方にかかっていると考えることができます。


それは、まず、そもそもある特定の活動を行うかどうか、行うとすればどのような内容の活動を、だれと、どの程度まで、いかに行うか、その判断と選択が個人の自由な意志に基づいていることです。


ボランティア活動は、他から頼まれたとか、命令されたとか、規則で義務づけられているため、本心はいやだがしかたなく、あるいはやむをえず行うような活動ではなく、そうしないではいられない、そうしたいという個人の内発的動機に発する自主的な活動です。


これを動機における自発性の原則とよぶことができます。


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         <pubDate>Wed, 03 Aug 2011 13:24:47 +0900</pubDate>
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         <title>ボランタリズムの発生</title>
         <description>例えば日赤奉仕団、YWCA、BBS、日本青年奉仕協会、カリタスの家、富士福祉事業団など・・・


比較的に規模が大きく活動実績を積み重ねてきた民間ボランティア団体や、労働組合・青年会議所・青年団、ライオンズ・クラブなど本来の組織目的のほかにボランティア活動を付加して実践している諸団体は、任意加入の自立した自発的結社(アソシェーション)です。


活動資源に応じて所在地から遠く離れた施設や対象者の要望に応えてボランティアを派遣することはむしろ普通です。


活動の場を日本にかぎる必要もないのです。


こうした民間団体での活動の主力が、しばしば比較的に多くの自由時間をもち、地域社会からの離脱を志向する青年・学生であることは理解しやすいのです。


これに対して、一応子育てが終り家計と生活時間に余裕のある家庭の主婦や定年退職して健康で余生を送っているお年寄りは、一方でいわゆる「全日制住民」であるがゆえに地域活動と出合います。


それに参加する機会が多く、他方で日常生活上の必要ないし制約からどうしても活動時間が昼間にかぎられ行動範囲も無理のない身近な地域とならざるをえません。


こうした主婦やお年寄りの参加する地域活動は、趣味、スポーツ、学習、芸能、リクリエーション、子供会、PTA、町内会、消費者運動など多種多様です。


・・・ボランティア活動もそうした地域活動の一つとして台頭しはじめたといってよいでしょう。


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         <pubDate>Sat, 23 Jul 2011 13:23:48 +0900</pubDate>
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         <title>インテリアの考え方　2</title>
         <description><![CDATA[広さも一般的に多いのが畳二枚分の一坪ですが、入る人数と浴槽の大きさやシステムによっても違ってきます。


広くすることができない場合は出窓をつけるとか、浴槽を埋め込む場合があります。


出窓は意外に効果があります。


まるで照明を<a href="http://temponotatsujin.jp/" target="_blank">かくれん棒</a>にしたかのように効果的です。


日本の住宅では構造上、一階に浴室を設け二階に寝室をプランしていることが多いのですが、これは水を使うため、防水工事が面倒なことや重量の問題があるためです。


ユニットバスの開発も進み、軽量のデザイン性のよいものができ、二階への設置が容易になり、二階の個室のそばに計画すると生活が便利になります。


たとえば、お客様のとき、ご主人が帰宅して着替えの間にシャワーを浴びることができたり、朝、低血圧の人が入浴し、体調を整えたりできます。


一階にするか二階にするかまた、出入口の建具を開き戸、引き戸にするかは使う人の生活に合わせてプランニングが必要です。


二階の浴室に天窓を設け、夜空の星を眺めて入浴するなんてすてきですね。


でも水滴がポタリでは・・・。


換気設備も気持ちよく入浴するには重要です。



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         <pubDate>Sun, 19 Jun 2011 11:20:09 +0900</pubDate>
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         <title>密教</title>
         <description><![CDATA[佐和隆研編の『密教辞典』によれば、密教の修法は「インドにおける塩暴只饗応の形式を、密教精神を北旦凧に組織したもので、先ず行者自身の三業(身・口・意識のこと。引用者註)を浄め、道場を結界し、本尊を迎えて香華・燈明等を供養し、三密喩伽行法によって本尊と行者加持感応して入我我入(一体となること。引用者註)し、深い三昧に入る。


法味を味わいつつ本尊を本地へ奉送する」ものであるといいます。


また、調伏において絶大な功力を示すとされる不動明王は、「行者に奉仕して残食を受ける(業煩悩を尽くす意)などの性格がある」(『密教辞典』)のです。


不動明王でさえ行者に仕えるのであるから、その春属が行者の命令を聞くのは当然といえるでしょう。


このような密教が日本に広く流布した意味は大きい。



話は変わりますが、占いに凝っている友人が<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>だと言うので、利用してみようと思いました♪

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         <pubDate>Tue, 14 Jun 2011 15:00:06 +0900</pubDate>
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         <title>時代性を味方につけられるかどうか</title>
         <description><![CDATA[『スーパーマン』の場合、キャラクターの知名度、マーロン・ブランドなどのオスカー俳優が脇を固める話題性に加えて、『スター・ウォーズ』が切り拓いたSFXブームに絶妙のタイミングで乗れたという経緯があります。


そう、メガヒットに必要なのは最高のタマではなく、それを受け入れる土壌が観客の中にあるかすなわち時代性を味方につけられるかどうかが決め手になるのです。


では、『スパイダーマン』に味方した時代性とは?というところで、前作のおさらい。


前作は2002年のゴールデンウィークに公開され、興行関係者の予測を上回る大ヒットを飛ばした。


すなわち、「『1』よりおもしろい」と評判の『2』がヒットした要因は、その時すでにできあがっていたことになります。


さて、最近は<a href="http://www.rental-station.jp/" target="_blank">ビデオカメラ レンタル</a>にはまっています。


今は何でもレンタルがあっていいですねー。

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         <pubDate>Sat, 04 Jun 2011 14:20:05 +0900</pubDate>
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         <title>インテリアの考え方</title>
         <description><![CDATA[浴室は全身の衛生保持と美容のためのスペースですが、最近では明日のエネルギーの確保のためリフレッシュできる場所として、衛生面のほかに健康や心理的にくつろげること・・・


そして家族のコミュニケーションの場と考え、スペースも広くなる傾向にあります。


人は住宅外の生活が忙しくなれば住宅の中での生活に安らぎを求めています。


色彩計画も心理的に大きな役割をしますので気を配りたいものです。


たとえば、淡いピンクのタイルで肌を美しくみせるとか、膨張する色彩で少しでも浴室を広く感じさせるとか・・・


スペースも機能面だけ考えれば、洗う、入浴するための広さがあればよいのですが、リフレッシュと考えると用途に合った広さが必要ですね。


また、<a href="http://temponotatsujin.jp/" target="_blank">かくれん棒</a>などの照明を考えることも大切です。


たとえば、坪庭をつくり、眺めながらくつろいだり、子供とスキンシップをするとか、具体的にどのような浴室にしたいのかよく考え、プランをはじめましょう。


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         <pubDate>Tue, 31 May 2011 11:19:35 +0900</pubDate>
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         <title>住民がつくる「公共」　2</title>
         <description>大切なことは行政の守備範囲とか住民の行政への依存心が議論されている今日・・・


まず住民が相互に地域生活上の関係を透視し、必要に応じ日常的に取り組みうる規模の問題と分野で共同解決の活動を多様に試み、住民自治の火種をたやさないことです。


さて、昭和40年代末から50年代にかけて自発性と自前主義を行動原則とする新しいタイプの住民活動のグループが「人間砂漠」とまでいわれた都市生活のなかから生まれはじめました。


国-地方を通じる行政の援助と関与をうけず、行政から独立し、地域に根ざし地域になじむ住民のボランティア活動が日本の地域の歴史にはあまりにも乏しかった社会生活慣習であっただけに・・・


こうしたグループの台頭は、新しい住民の「元気」として注目に値するといえます。


ボランティア活動はさまざまな分野でありえますが、ここでは主として社会福祉の領域におけるボランティア活動を念頭において考えていくことにしましょう。


昭和40年代の中頃以降、主として都市化の進んだ地域で、家庭の主婦と退職後の健康な高年者を中心的な担い手とする比較的小規模なボランティア・グループが目立ちはじめたのは新しい地域現象として注目してよいと思われます。


ボランティアとしての主婦や高年者の登場は、もともと特定の地域とは必然的な結びつきをもたないボランティア活動に地域性を与えたという意味でかなり重要な出来事であるといえます。

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         <pubDate>Thu, 28 Apr 2011 13:22:55 +0900</pubDate>
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         <title>住民がつくる「公共」</title>
         <description>もし住民が日常身辺でさまざまな問題について自律的に秩序を創り出していくことができれば、「みずから治める」という意味での住民自治の元気さを示すことになります。


この点で住民が元気であることは、ひるがえって役所のみが「公共」を独占する従来の考え方を打破していく根拠となります。


それに代って、私的領域-公共的領域-行政的領域という3分論を構想する可能性も拓かれてきます。


住民による自律的秩序の形成が「公共的」といいうるのは、いうまでもなく「行政的」と同じではなく、「私」を主張しつつ「私」を自己抑制し、異質な「私」と「私」の問に共存できる関係ができるからです。


およそ公的なものはなんらかの意味と程度で「私」の個別的要求を抑え、相手との間に共に生き合う、そうした共同の契機なしには強制や抑圧と化してしまうからでもあります。


・・・このような意味で住民が拓きうる「公共的領域」。


これは、いうまでもなく、そこで解決されるべき共通問題の性格、規模、コスト等によって限定されます。

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         <pubDate>Mon, 28 Mar 2011 13:21:29 +0900</pubDate>
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         <title>冷蔵庫のはなし　10</title>
         <description>&quot;台所で食事ができる&quot;のは不動産業者にとって売買しやすい魅力的な物件となりました。


かくして50年代後半から60年代にかけての建築ブームの中で新しく建てられる家はすべてこの様式となったのです。


以後しばらくの間、さまざまな理由で台所は大きくなっていきました。


ただ単にウェイブリッジの新興金持の家を真似たいというだけではなかったのです。


母親たちはあたたかいストーブから遠く離れた場所で1人あくせく仕事をしたがらなくなり、夫も仕事から帰ってきて正式の食堂で座っているのを必ずしも望まなくなりました。


台所の設備はしだいに変化を迫られました（とくに冷蔵庫についてそれがいえます）。


この革命的ともいえる変革は冷たい大型の食料貯蔵室の終わりを意味しました。

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         <pubDate>Sat, 05 Feb 2011 11:26:25 +0900</pubDate>
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         <title>冷蔵庫のはなし　9</title>
         <description>彼の指摘によれば、戦前1930年代の平均的家庭の台所は万事控え目で必要最小限のものだけ使われていました(実質的に食事の準備は主に皿洗い室で行なわれていた)。


そこは狭く、おそらく8～10フィートぐらいしかなく、四面に作りつけ棚のついたものでした。


居間(すなわち食事する場所)は離れていました。


戦後、ブリンダーはサリーのウェイブリッジとか北ロンドンのハムステッド・ガーデン・サバーブなどに住む金持のために家の設計を行ないました。


かれらは正式の食堂はやはりあった方がよいとしていましたが、同時にそれより気軽な朝食用および子どもたちの食事用の場所も必要と考えはじめていました。


それは1950年代初期のアメリカ映画やテレビに出てくる&quot;食事用コーナー&quot;の影響を受けたように考えられました。


最初は金持の家にしか見られなかったその様式はまもなくどこの家にも普及していきます。

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         <pubDate>Sat, 15 Jan 2011 11:25:55 +0900</pubDate>
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